おとなになること

おとなってへのトラバです。

大人になると、子供のときにあった心の自由がなくなってしまうことがある。大人なんだからしっかりしなきゃ、人に頼っちゃいけない、自分でなんとかしなくては、、そう思っているうちに自分で自分をがんじがらめにしてしまって、辛くなってしまう人はたくさんいると思う。大人としてのプライドが自分を守ろうとするばっかりに、かえって自分を苦しめてしまうこともある。でも、これって自分のため、あるいは人のためにプラスなのだろうか?

心理学によると、人はお互いに言葉を使いながら助け合って生物学的な生き残り競争をsurviveしてきた、だから私たちは自然に誰かと話したり、頼ったり、誰かを支えたいと思う、つまり人として、これらの欲求を満たすことはよりよく生きるために(より多く子孫を残すために)必要なのだ、という。それはシンプルにいうと、私たちには人を信頼してちゃんとコミュニケーションできる環境が必要だってことだ。

家族・友人・職場の同僚・ご近所さんなどのコミュニティは、普段の交流がスムーズなほうが、いざというときにそのコミュニティの人たちの生存率がUPするだろう。単純な例をあげるなら、大きな災害があったときに、ご近所さん同士がお互いを知っていて信頼しあう関係ができていれば連携のとれた助け合いによってその地域の人たちは生き延びる確率が高まる。けれども逆に、近所に誰が住んでいるか分からない状態だったら1人暮らしの助けが必要な人が取り残されたままになるかもしれない。ちゃんとコミュニケーションができる人間関係を維持することは、私たちの生存率を高めるためにも必要なのである。

キレル子供、犯罪に走る若者、自殺してしまう中高年者。そこにたどり着くまでに、部屋にこもって残虐なテレビゲームをし続けたり、刺激的な(暴力的あるいは奇怪な)映画をたくさん見たり、インターネットや携帯で同じ趣味や考え方を持った人たちだけを中心に交流したり、あるいは職場のパソコンに向かってひたすら仕事に時間を費やしたりする経過があって、たぶん自分だけの世界に入ってしまう、外の世界(違う趣味や考えを持つ家族や友達)との交流が極端に少なくなってしまう状態があったんだと思う。もしも、彼らがもっと周りの人たちとコミュニケーションができていたら、結果は違っていただろう。人とのコミュニケーションが極端に少なくなって、外の世界とのつながりが切れてしまうと、私たちは自暴自棄になりがちなのだ。暴力、リストカット、暴飲暴食、ギャンブル、SEX等は、人が満たされない何かを満たそうとする必死の努力なのかもしれない。

他人に悩みを話したり、頼ったりするには、その相手を信用できなくちゃいけない。でも残念ながら、今や「他人を信じてはいけません、他人と話をしてはいけません」と子供たちが教えられる時代だ。教師、警察官、医師などかつては尊敬されていた大人たちの犯罪がしょっちゅう明るみになる中、私たちは誰も信じられない社会に生きるようになってしまった。いつから、日本はこんなになってしまったのだろうか?

私は、他人を信用できない社会にたどりついた大きな原因は、テレビ・パソコン・インターネットなどのテクノロジーだと思っている。多くの人がテレビ・パソコン・携帯に1日の時間の多くを費やすようになり他の誰かと直接顔を合わせてコミュニケートする時間を大幅に減らしてしまったこと、また多くの人がテレビ・パソコンから得られる情報や刺激に簡単に影響されてしまうことが、世の中の変化に大きく関係してると思う。皮肉にも、他人を信用できなくなった今、多くの人がネットや携帯で目に見えない相手と交流するようになったのは、外の世界の危険から自分自身を守るための処世術の1つかもしれないが、人間の自然の欲求-目の前にいる誰かを信頼したい、自分を受け止めて欲しい気持ち-はその処世術とうまく噛み合わないのである。

話が飛躍してしまったけれど、私たちが面と向かって誰かに正直な気持ちを話したり(文字だけではない)言葉を使って周りの人に助けを求めたりすることは、きっとこれからSurviveしていくために必要なスキルなのだと思う。もちろん、テレビ・パソコン・電話を通じてのコミュニケーションにも大きなメリットがあるし、それで気持ちが救われることもたくさんある。でも、人と顔を合わせて直接話すことは、私たちが心の健康を保っていくのに必須なのだと思う。誰かに自分の気持ちを話す、助けを求める、他の人が困っているときは相手を尊重しながら話を聞く、支えてあげる。人と人とがお互いにサポートし合あう環境は理想論にさえ聞こえるかもしれないけれど、子供でも(子供だから?)できることなのだ。大人になると、いろんなこと(主に他人の評価)を気にして、なかなか自分の本心を表に出せなかったりする。子供のときにできたことが大人になってできなくなる。でも、自分と周りの人たちのために、自分の中にある子供の(本能に近い)部分を、大人になっても使ってもいいのではないだろうか。

大人になるとプライドを保とうという気持ちが強くなる。プライドは社会で今まで生きてきて長い学習で得られたものだ。本音を黙っていれば評価されてきた過去の体験の繰り返しが、本音を言ったら格好悪い、評価が下がる等、本音を言うことに対して否定的な気持ちを生み出してしまう。社会として、プライドは大切だし自分の感情をさらけ出すような行為は慎むべきだと考えられているから、それを打ち破るのはとても難しい。でも、大人になっても、誰かと信頼をベースに感情のともなったコミュニケーションができる関係を持つことが、つまり誰かに直接言いたいことが言える人間関係を持つことが、自分の心をがんじがらめにしないための秘訣なんだと思う。

とても長くなってしまったけど、本音を話せる信頼できる人間関係を持つことが、心と体、両方の健康にプラスになる1例を付け加えておこう。男性の平均寿命が女性よりも低いのは、一説によると、男性のほうが健康の問題があっても人に相談せず悪化するまで放置する傾向にある、また男性は心や体の悩みを妻以外には話さないことが多くストレスをためやすいことが原因と言われる。もちろん生活習慣(長時間労働やお酒・タバコ)のほうがより大きな原因になっている気はするが、女性の場合は夫以外に何でも話せる相手(子供、友達など)が複数いて悩みを抱え込まないため男性と比べてストレスが低く、平均寿命が長いのではと考えられる。話ができる人がいる、話を聞いてくれる人がいる、というのは子供だけでなく大人にとっても大事なこと。

大人になっても、人に愚痴っちゃいけない、甘えたらいけないと思い込まず、心が疲れきってしまう前に誰かに相談しよう。助けを求めてみよう。それは恥じゃなくて、私たちに必要なことなのだから。そのかわり、自分が愚痴った分、相手が自分に愚痴をこぼしたときにちゃんと聞いてあげればいいのだから。
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Commented by toku at 2005-09-23 22:34 x
こんばんは。お久しぶりです。Blogときどき覗きにきています。
たしかにそうかもしれないですね。愚痴ることってどこか悪いことと思いますが、ストレス解消にはいいかもしれません。私もそうですが、世間体を気にする人ほどそういうことをいわないものだと思います。会社で愚痴るなんてかっこわるいとか思うものです。
Commented by miffyinvic at 2005-09-26 07:07
tokuさん、お久しぶりです。うん、会社では愚痴れない。やっぱり愚痴をいう相手はちゃんと選ばないと、あとあと面倒なことになったりしますよね。とくに利害関係が絡む場合は。会社以外の友人や家族で自分を分かってくれる人、話を「うん、うん」と静かに聞いてくれる人がいれば、一番理想的。でも、いい聞き役になってくれる人を見つけるのは案外難しいのかも。後で「あの人には話さなければよかった」ということも多々ありますものね。
Commented by コロ助 at 2005-09-29 11:59 x
そうね。愚痴を言う相手は本当に慎重に選ばなければ!って改めて思う経験をしたので、それ以来気をつけています。
いつも愚痴を聞いてくれてありがとう。
by miffyinvic | 2005-09-18 17:55 | 心理学 | Comments(3)

カナダ西海岸で5歳児と二人暮らし。補助輪なしで自転車に乗れるようになったよ!


by miffyinvic
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